山桜神社の由来
俊馬[山桜]は飛騨国小八賀郷池之俣村(現在は高山市丹生川町)の産で、高山城主・金森頼直の愛馬でした。
明暦3年(1657年)の江戸の大火のには、防火に従って火に包まれてしまった主君頼直を乗せて、江戸城の百間堀をこえ、主君の危急を救ったと伝えらています。
[山桜]の晩年は、永年の功により、中向町(現在の高山市本町2丁目)に厩舎をあてがわれて、いたわれました。後に死亡すると遺骸は火葬にされ、松倉山麓(現在の飛騨の里・民俗村地内)に葬られました。厩舎の跡は、社を建て、山桜神社・馬頭様として祀られ、鎮火などの守護神として崇められて、今日にいたっております。
松倉山の大悲閣の馬頭観世音は、[山桜]の病気平穏を祈願して祀ったもので、8月8日・9日・10日はその縁日となっています。この縁日に紙絵絵を求め、観音に奉納して、その年ごとに「牛馬安全」「養蚕安全」「家内安全」「商売繁盛」「火の用心」「交通安全」「百寿百福」などを祈願し、家の玄関に入ったところの壁に貼るという風習ができました。
この絵馬市は、名馬の値になぞらえて、「松倉相場」と呼ぶ、百円を百万両と言いかえて、取引きをすることが有名になっています。
近年は、テレビ、新聞などでも全国に紹介され、飛騨高山の夏の風物詩の一つとして人気があります。
山桜神社・馬頭様を保全する本町会では、この古い伝統を受継いで、みな様の願いごとをお取り次ぎいたしたく、毎年8月1日〜10日まで、馬頭絵馬市を開いております。
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